がんばりすぎず、ふわふわ、るんるん、で生きていく

最低限の収入でもふわふわるんるんで暮らしたい、と思っている特に取り柄もない独身♀アラフィフ在宅ワーカーの日々徒然

コメットクラブをご存知ですか?(2019.7.3追記)

 1991年7月、東北・上越新幹線の東京駅乗り入れに合わせて、作られたお掃除隊

 

 それが、コメットクラブです。

 

 1990年代に東北・上越新幹線によく乗られた方は、どこかで見かけてるかもしれません。

 

 今のテッセイの前身ですね。前にテレビで取り上げられてるのを見て、だいぶ仕組みやあり方は変わったけれど、7分間清掃とか、変わってないこともあって、懐かしくなりました。

 

 

 え、と、私は、そのオープニングスタッフでした。当時の求人を思い出す範囲で書いてみると。

 

 仕事:東京駅での新幹線の折り返し清掃、ホームの清掃、車内清掃乗車サービス

 時間:折り返し清掃/10時30分~15時30分、15時~19時、10時30分~19時 乗車サービス/13時~19時(ここはスミマセン、全くのウロ覚えです)

 時給:1000円

 年齢:25歳まで

 交通費全額支給、ユニフォーム貸与

 

 面接に行った時に説明されたのは、「若い女性に、お客様に見せる掃除をしていただきたい」ということで、一番のウリは「女子大生が新幹線の掃除をする」みたいな感じだったと思います。

 

 私がいたのは3年位でしたが、その間に、物珍しがられて、取材とか結構きてたのを覚えています。

 

 ちなみに、ウリはウリとして、実際には女子大生率は半分。特に午前中から働いている子たちはフリーターが主でしたね。年齢はオープン時は24歳くらいまでの子で固められましたが、その後、25歳の人が入ってきたりすると、28歳まで働いてよくなりました。あくまでも私がいた3年間のことですので、その後、どうなったかはわかりません。

 

 コメットが担当するのは、グリーン車と、その前後の車両で全部で4両くらいだったかなあ。

 

 折り返し清掃

 コメットは見せるお掃除隊です。なので、登場も1列に並んでホームに向かいます。

  • 清掃担当の乗車位置の盲人タイルの上に立って、新幹線が入って来たら、お辞儀。新幹線が完全に止まるまで。
  • お客さまが降りる時は乗車口に近い担当者が「お疲れ様でした」とお見送り。
  • 清掃が終わった後も、新幹線の前に1列に並んで「失礼しました」とお辞儀。
  • そしてまた1列に並んで退場。

 見せる清掃とは言っても、清掃はします。ただ、東京駅にはゴミを下ろす場所がなかったので、車内でかき集めたゴミはゴミの棚へ乗っけてましたね。

 まあ、記憶も古いので間違ってるかもしれませんが。

 ☆グリーン車の場合

 A とにかく車内のゴミを拾う。拾い終わったら、Cがクリーナーをかけた後をモップで拭く。

 B 座席の回転をしながら、背もたれを取る。配られた背もたれをつける。

 C 背もたれを配って、クリーナーをかけながら座席の汚れチェック。

 D テーブルと窓を拭きながら、トランヴェール(車内誌)のチェック。

 

 みたいな感じだったと思います。普通車は担当2人だったので、一人がゴミ関係とモップ、一人は座席回転と汚れた背もたれのみを交換した後、クリーナー、みたいな感じだったような。

 

 ※2019.7.3追記

 吸い殻回収なんてのもありましたね。何か吸い殻を入れる缶みたいなもの(でもコメット用に可愛く…黄色だったかな? 色が塗られた缶みたいなもの)を持って車内に入った記憶があります。

 

 ただ、7分って短いんです(笑)。だから、その為に作られていたのが、車内清掃乗車サービスでした。

 

乗車サービス

 乗車サービスは東京駅での折り返し清掃がスムーズにいくように、事前にある程度ゴミを回収しておこう、というために作られたものだったらしいです。

 

 乗車サービス担当者は、まず宇都宮駅まで乗って行きます。そこで、東京方面の指定された新幹線に乗り換えて、車内でゴミ回収をします。

『ただいま、車内清掃サービスを行っています。ゴミの回収にご協力をよろしくお願いします』みたいなことを言いながら、コメットが東京駅で清掃する車両を歩いていくわけですね。もちろん、ゴミを出してくれたお客さまには「ありがとうございます」と両手で受け取り、車内を出る時は「ご協力ありがとうございました」と一礼です。

 

 ただ、私、ほとんど乗車サービスやっていなかったので、これは本当にウロ覚えなんです。これこそ、本当にほぼ女子大生の子がやっていたんじゃないかな。

 

 会社としては若い子を募集するのだから、乗車サービスばっかりを希望されるんじゃないかと思ったらしいのですが、実際は折り返し清掃を希望する人が多くて、それにまた、「見せる清掃だとは思わなかった。もっと地味なのかと思った」と辞退した人も何人かいた、と聞きました。

 

 乗車サービスは一番お客さまが乗るだろう、という時間に行っていたので、もちろん折り返し清掃もラクにはなっていたと思うのですが、乗車サービスで集めたゴミは当然ゴミ室の棚におくんですね。で、先にも書いた通り折り返し清掃で集めたゴミもゴミ室に置くわけなのですが、乗車サービスのゴミ多すぎて、折り返しで出たゴミが置けなくなったこともしばしば(その場合は、乗りそうな別のゴミ室まで運んでました)。

 

 ホーム清掃

 これの説明はいらないと思います(笑)。ホーム上のゴミを拾いに行きます。

 

 そうそう、このコメットクラブの監修はダスキンで、ディズニーランドのカストーディアルみたいなイメージでユニフォームとか持ち物とか用意されてたんですね。車内清掃や乗車サービスの時はあんまり意識しなかったんですが、ホーム清掃だと、割と話しかけられることが多かったんです。何を? いや、ディズニーランドだったら、アトラクションとかショップの場所聞かれたり、写真取ってください、とかですよね。でもコメットさんの場合はですね…

 

「これ、○○駅、止まる?」

「○時○分発って、ここで待ってればいいの?」

「電話どこ?」

「トイレどこ?」

「自由席どこ?」

「山手線に乗り換えたいんだけど」

 

 特に一番上! 間の駅にほとんど止まらないものもありますし、パッとは答えらないことも多くて、ものすごい緊張しました。私に「話しかけるなオーラ」があるとしたら(笑)、この時に培われたんじゃないだろうか。

 

 面白い落とし物

 

 車内での忘れ物は駅長室に持って行くんですが、まあ、一番多いのは傘。駅員さんと「傘ですね」とか「お財布ですね」とか「下着みたいですね」とか「お土産みたいですね」と拾得物について確認するんですが、たまに迷うものもありました。

 

「これ何だろう?」

「何でしょうね?」

「貝? かな」

「あ、法螺貝じゃないですか。合戦の時の」

「あ~! でも何に使うんだろう?」

「ですね」

 

 法螺貝って今の時代(つっても30年前だけど)何に使うんですかね? 研究? 趣味? あの法螺貝の持ち主は現れたのかなあ?

 

 

ちょっとバブリー

 このコメットクラブの夏は地獄でした。なぜならば、夏のホーム下は40度になってたからです。当時は今みたいに酷暑ではなかったけれど、詰所(待機場所)は節電なんて言葉がなかった頃の設定温度16度でしたから、詰所は涼しい、一歩出ると地獄。そんな感じ。

 

 ただ、新幹線に合わせての仕事なので、割と空き時間があるんですよ。次の清掃まで20分、というのは短い方で、50分くらい空くこともあって、そうなると【待機時間】なんだけど、実質の【休憩時間】になるわけです。

 

 で、ですね。それでも時給は出るんです。

 

 たとえば、天候が悪くて、運休になってしまっても、シフトの分の時給は出るんです。運休だから帰って、なんてこともなく、いつ到着するかわからない新幹線を待ちながら、待機という名の自由時間になるわけです。

 

 だから、シフトに入ってる日は出勤したら、清掃しようがしまいが、お金は貰えるんです。

 

 あと、私がいる間にバブルは弾けましたが、それでも辞めるまで、半年に20円~30円ずつ時給は上がっていきました。辞めた時の時給は1160円だったと思います。

 

 今では夢のような待遇、と思いますが、当時はバイトで社会保険に入れたり、有給貰えたり、なんてことはほぼなく、ここも、どんだけ働いてもそういうものはありませんでした。

 

 あ、ボーナスという名の寸志も年に2回ありました。最高額1万円(笑)。

 

 

ユニフォーム

 検索してみたら、絵を描いてくれてる方がいたのですが、私が来てたのとは違うので、新しめのかな?

 

http://www.geocities.jp/sanyokyuko/comet_club.htm

 

 埋め込みで乗っけようと思ったら、化けてしまったのでURLだけ。

 

 ※2019.7.3上記のリンク先が消えていたので訂正しました。

 ↓代わりにこちらを。これも私が来てたのとは違いますけど。

https://tetsudou-musume.net/contents/chara/chara.php?cid=TM06

 

 

 私の時は、夏はパステルグリーンとブルーっぽい上着に膝上丈のキュロット、冬はピンクとグレーの上着に、膝上丈グレーのキュロット、共通で赤の帽子とウエストポーチ、靴下、白にスニーカーでした。

 基本清掃用具は、赤い箒にちり取り、MAKITAのクリーナー。さすがにモップは普通のでしたけどね。

 

 冬は寒いので、コメットではない清掃隊のお姉さま方(20才以上年上)に「あんたたちそんなに足出してると冷えて子供産めなくなっちゃうわよ!」と、注意されたんですが、ユニフォームなんでどうにもできず(笑)、分厚いタイツはいて頑張ってましたね。今は、当時のお姉さまの言うことよくわかる、というか、同じ格好は寒くて出来ませんね。

 

最後に

 今は誰とも連絡取れませんが、働いてる時は、割と楽しい職場だったんですね。ほら自由時間も多めで好きなことも出来ましたし、上下関係も全くなかったし。ただ、年齢制限があったので、そもそも25才までには辞めるつもりでした。私がいる間に30才まで、となりましたが、バブルもはじけ、30才になってから路頭に迷うのはこわいかも、と思い、24才で辞めました。

 

 場所が東京駅だったので、大丸で食糧買いそろえてみんなでお花見行ったり、東北新幹線で旅行行ったり(あ、掃除はJRとは別なので、優待はないですよ)、飲み会やカラオケも割と頻繁に。

 

 今、テッセイが取り上げられてるのを見ると、私がやってたコメットよりもずっと厳しく、プロ中のプロって感じがしますが、最初はうちらだったよ、なんて勝手に思って、私がすごいわけでは全くないけれど、ちょっとほんのちょっとだけ誇らしく思います。もちろんすごいのは今のテッセイさんたちですよ。私たちは結局、見せ物だった(私がいた頃は特に)と思いますしね。

 

 でも、やってみて、わかることってあるんですよね。

 コメットをやってみて、掃除してくれる人は単なる掃除の人じゃない、すごい大変な大事な仕事だって思います。新幹線から降りる時は絶対にゴミはゴミ箱に入れよう、もし何かこぼしちゃったら、ちゃんと拭いておこう、なんて今でも思うくらいには、私にちゃんと刻み込まれているお仕事のひとつだと思ってます。

 

 私がコメットをやっていた、1991年7月の開業~1994年9月位までに、コメットやってた方、どなたかいませんかー?(笑)

 

 4番の○○です。

 (↑何かね、おニャン子クラブみたいに、番号がついてたんですよ(笑)。会社に連絡入れる時は「○番の○○ですけど」って言わなきゃいけなかったんです)

 

 とはいっても、同窓会とか全く考えてませんけどね(笑)。

 

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 まったく関係ないけれど、コメットさんといえば、大場久美子? 九重佑三子? 私はリアルタイムで大場コメットだけれど、ちっちゃい時、早朝に古いドラマをよく再放送していたので、九重コメットも見てました。憧れたのは大場コメットさんだけど、単純に面白かったのは九重コメットさんだったなあ。

 ティンクルティンクル コメットさん♪