がんばりすぎず、ふわふわ、るんるん、で生きていく

最低限の収入でもふわふわるんるんで暮らしたい、と思っている特に取り柄もない独身♀アラフィフ在宅ワーカーの日々徒然(SPOONという配信アプリでブログで書いたことについてお話することがあります。https://www.spooncast.net/jp/profile/314857438/board/dj?t=all)

辛かったら別の世界を作ってココロの均衡を保つ

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 私は、小学5年生の時、現実とは違う、別の世界を心の中で作りました

 

 作りました、というよりは、作ってました。

 

 その世界では、みんなが自分の味方でした。

 

 

一人っ子は基本一人遊びが基本

 

 私は一人っ子なので、一人でいることは平気なのですが、社会(学校とか)の風潮としては、『友達がいないことは悪』みたいに言われるので、子供の頃はそこに大変苦労しました。

 当時は協調性がない、とは思ってなかったんですけど(協調性がない、という意味を落ち着きがない、みたいに捉えていたので)、学校で、たくさんの人と過ごす、というのが、辛かったんですよね。

 

 友達を作らないと『友達を作ろう』と言われ、授業中大人しく座っていることは苦じゃなかったけど大人しくしてると『発言をしろ』と言われ、ドッチボールでボールを取ることも投げることも苦手だから逃げ回っていたら、『目の前に来たボールなのになぜ取らない!』と怒られ…

 

 一人っ子って、全然一人で遊べるんですよ。人生ゲームとか、ぬいぐるみ並べて一人で出来る。四役できる。

 

 ただ、あまりにも『友達がいないこと』が悪、と言われるので、それが刷り込まれて小学4年くらいで自分でも『友達がいないと恥ずかしい』と思うようになっていました。

 

 でも、それってすっごいストレスでした。元々協調性がないわけなので、人に合わせるのが苦手。内弁慶なところもあるので、仲良くなると、相手と自分の距離がわからなくて、かなり踏み込んでしまう。当時仲良くしてくれた子たちには、嫌な思い、たくさんさせたと思います。

 

 転校後

 

 転校って、私の中ではちょっとワクワク感がありました。自分を知らない人たちのところで、一からやれるって。

 

 でも、その考えが間違いだってことに、すぐ気付きました。

 

 やはり、幼なじみというのは、物心つくかつかない頃からの付き合い、というのは、いろんなことを超越していて、ダメな私でも、イヤな私でも許容してくれていたんですよね。

 

 転校したら、自分で自分をアピールしなきゃいけない。私にそんなめんどくさいこと出来るわけないんです😅

 

 なので転校後、なかなか人間関係をうまく作ることが出来ませんでした。それでも『友達がいないのは恥ずかしい』と思っていたので、自分に声をかけてくれた子と一緒にいましたけど、小学5年くらいになると、無条件で仲良く出来るほど、子供ではないわけで。

 

 友達がいない上に、クラス自体が荒れていて…

 この頃…、辛かったんだろうなあ。

 

 

 気付いたら、作ってました。……別の世界を。

 

 一人遊びは子供の頃からしていましたけど、それはぬいぐるみと話したり、ということでした。

 

 でも、この時、作った別世界というのは、そういうのではなくて、ちゃんと架空の人物を登場させています。

 

 全部、自分の頭の中で、かというとそうでもなくて、目の前にいると仮定して、話したりもしてました。

 

 でも、完全に自分の世界に入っていたか、というとそうでもなくて、親がいる前では絶対にやりませんでしたし、親の気配がすると、すぐ辞めていました。あと、声も出しませんでした。口パクで笑。

 

 とにかく自室に一人でいる時だけ、別世界に身を置くようになりました

 

 

 別世界にいた自分を思うと当時の願望がわかる

 

 一人でも平気と思っていた、と思っていた子供時代ですが、その別世界ではですね、なぜか友達がたくさんいるんです笑。

 今思うと、友達が欲しくないわけじゃなかったんですよね。でも協調性がないので、自分に都合いい友達が欲しかったんだと思います。ひどいヤツです😓

 もしくは無条件で自分を受け入れてくれる人が欲しかったんだと思います。

 

 私、小学4年の時…まだ転校する前で、それなりに、楽しかった頃ですけど、学校の社会科見学かなんかで『あ~早く死にたい』とみんなの前で言ってるんです。

 何でそんなことを言ったか、というと、当時の母親の口癖だったからだと思います。

 その時、みんなにめちゃくちゃ驚かれたんですけどね。これも刷り込みなんですかね、母親が『早く死にたい』『死んだ方がラクだ』よく言ってたので、私、死に関してあんまり恐怖とかなかったんです。

 死んだ方がラクだったら、別に死んでもいいかな、とか思ってました。

 

 転校後、それは『明日の朝、目が覚めなくてもいいかな』とかも思うようになりました。

 

 そんな時に、いつの間にか作った別世界で、私は『死にたいキャラ』として存在していました。そして、みんながいかなる時も、私の死を止めてくれるんです笑。私を必要としてくれたのが、別世界、でした。

 

 今、ゲームの中で、現実とは違うキャラを生きてる、なんて方もいるかもしれませんが、それって、ネットを通じて人との交流ってあるでしょ?

 

 私の時代はそういうのが出来ない時代だったので、全部、自分の中でのやりとりだったんですが、仮に当時ネット環境があっても、私のこの別世界は自分の中に留めておいたと思います。

 ネット上とはいえ、誰かと交流持つということは、そこに人間関係が発生するわけで、私にとって、それは不必要、というか、怖いものだったんで。

 

 とにかく、無条件で自分を受け入れてくれる存在、というのは、私が作り出した架空の人物でないとダメだったんです。

 

 現実と別世界は完全に別

 こうなると、現実と別世界が混ざって、他人に変に思われないの? と思われるかもしれませんが、私、かんっぜんに、分離出来てたんですね。

 この別世界が発動するのは、自室だけなんです。

 別世界に関するノートなんかは作ってたんで、うちの母親なんかは見たことがあるかもしれませんが……うん、母親はどう思ってたかなあ。特に何も思ってなかったかも。←興味ない、とも言う😅

 

 逆に、現実と別世界の区別がつきにくくなるくらい、のめりこむ人には向いていない方法かもしれません。

 

 

 実は今でも…

 今でも彼らは出てきます。今は一人なので、普通に家の中で喋ってます笑。今は、彼らが出てくるのは、家、限定ですね。

 

 とかく一人なので、喋る相手もいないし、まあ、いいかな、と思ってます。

 あ、シェアハウスみたいな感じですね、今は。

 

 ちなみに、『彼ら』は、子供の頃から、変わっています。その時代時代で、別世界の人間関係も変わってってます。去った人も何人もいるし、新しい人も何人もいるし笑。今は、男性率が高いかな。やーもー、女の人間関係が自分も含めてめんどくさっ、って現実世界でなってるので、家の中では男性陣と喋りたい笑。

 

 でもね、だから現実世界でも頑張れる、ところ、私にはあるんです。現実がどんだけイヤでも、家に帰れば楽しいですから。

 

 こういうこと書くと「こわっ」「さみしい」とか言われちゃうのかもしれないけれど、私にとっては必要なことで、これで今まで生きてこられたようなものなので。

 

 

 現実が辛かったら逃げればいいと思う

 

 現実の定義=現実+ネット世界、なのかな、今は。

 だったら、頭の中で別世界を作ればいい、と思います。

 

 ネットでの誹謗中傷……私みたいな古い人間には、なぜそこから離れないの? と思ってしまうのですが……。日常生活で受けた誹謗中傷は戦わなければ難しいけれど、ネットでの誹謗中傷は、ひとまずネットの世界から去れば、見ないですむ。

 若い方にその考えはないのかな? 必要ですか? ネットって。

 

 逃げるって生きていくためには必要だと思います。

 

 私の時代は、登校拒否とか引きこもりなんて許されない時代で、たぶん、そうなってたら、どこぞの矯正施設に入れられていたかもしれない。

 だからってわけじゃないけど、私が変人扱いされずに、何とかここまで来れたのは、この別世界のおかげ

 

 

 まあでも、昨今登校拒否や引きこもりになった人の方が、その時の自分としっかり向きあって、後に大成してたりもするので……一概にお勧めできる方法ではないかもしれませんけど😅

 

 まとめ

 

 私は、社会に出てからも、やっぱり人間関係が大変で、自分を生かすため、心を殺さないため、に別世界でバランスを取りながら何とか生きてきましたし、今もそうです。

 

 今いる場所に居場所がなかったら、別の場所で作りましょう。

 

 それが架空の世界なら、いくらでも作り直せます。架空の世界でなら、自由自在です。

 

 ただ、現実と架空世界の境界線が曖昧な人には向いてないかもしれません。そういう方は然るべきところに相談して欲しいと思います

 

 

 

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