昨日、悲しい訃報があって、ずっと考えていました。
自死と言われているけれど、たぶん、今調査してるのだと思うけれど、真相は本人にしかわかりません。
私は事故、と思いたいです。
その理由を自分の経験を踏まえて。
私も書いていた
私は【いつ死んでも後悔はない】と思っているけれど、死にたいと思ったことも何度もあります。
『遺書めいたことが書いてあった』と報道されてますけど、私も何度も書いたことあります、遺書。
こと詳細に死ぬ理由とか書いてました。『死にたい』『死にます』と、書くことで、気持ちがラクになったからです。
だから、遺書があるから、と言って、自死とは限らない。
試したこと
10代の頃、試してみたことがあります。本気で死ぬ気はなかったけれど、自分の手で自分の首をしめてみたり、床に座った状態で、首にひもを巻き付けて少しだけ重心かけてみたり、死ぬってどのくらい苦しいのだろう? と。
でもこういう行為って、万が一まかり間違うことだってある。私は運良くまかり間違わなかっただけです。
別にこういうことを試さなくても、ヒモのようなものがひとつあれば、まかり間違うこともある。
私、ちょっと前に、箏をクローゼットから出す時に、クローゼットの中でゴソゴソしてて、コケそうになりました。これだって、万が一、何かがまかり間違って、そばにかかってるマフラーとかに首がひっかかって……って可能性が0ではないと、思います。
99%はないですよ、そんなこと。でも、ないとは言い切れない。……くないですか?
なんてね……私がそう思いたいだけ、です。
でも、4日前まで自分のドラマの宣伝を笑顔でSNSにUPしていたところを見ると、本当に、信じられないのです。
生きてれば…の論理には……
『何で? 生きてればもっと楽しいことあるのに。これからなのに。そんなに嫌なら逃げればよかったのに』
と、人は言います。
でも、逃げられない人もいるんですよね。私も学生時代は逃げられませんでした。母親に逆らうことが全くできなくて。だから、自分を守る手段として、遺書書いたり、別の世界に浸ったり、してました。
あと、私は、死んでませんけど、『生きてればもっと楽しいことあるのに』という点でも、同感は出来ません。生きてれば楽しいこと、とか、ちょっと無責任な一言かな、と思います。
楽しいと感じるかは、結局自分自身ですから。
私は、今、生きていて……楽しいことは……うーんあんまりないかな。でも、嬉しいことは、ちょこちょこあります。面白いこともちょこちょこ。癒されるなあ~と感じることもちょこちょこ。
日々のその積み重ねで今、生きてます。
私は、積極的に生きたい、とは思ってませんけど、死のうとも思ってないです。
自分が授かった寿命を全うするまでは、何とかできるだけ嫌なことを避けながら😅のらーりくらーり生きようと思ってます。
あ、何度も書いてますけど、猫を見送るまではその運命をねじ曲げてでも、生きるんですけどね。そこは、何が何でも。
今から『君に届け』実写版、見たいと思います。これ実写を見てから、アニメを見て、原作まで買ってしまった作品です。