がんばりすぎず、ふわふわ、るんるん、で生きていく

最低限の収入でもふわふわるんるんで暮らしたい、と思っている特に取り柄もない独身♀アラフィフ在宅ワーカーの日々徒然(SPOONという配信アプリでブログで書いたことについてお話することがあります。https://www.spooncast.net/jp/profile/314857438/board/dj?t=all)

生きてくために必要なもの

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 子供の頃から、人の中に入るのが苦手でした。幼稚園の手帳には「もう少しお友達と一緒に遊べるようになりましょう」と書かれていたし、記憶の中でも自分がみんなの中に入れず、ポツンといるという風景が残っています。そして言われたことをそのまま受け取る性質でした。

 

 この年になって親のせいにもしたくないのですが、親の言うこと、特に母親の言うことは【絶対】と思っていました。母が「〇〇ちゃんと遊ぶんじゃないのよ」と言えば、翌日からその子とは口も利けなくなりました。

 

 そして、母は私に習い事をさせました。バレエに筝・三絃、習字…友だちと遊ぶ時間もないままに。学校から帰ったら習いごと、帰ったら宿題して寝る。その繰りかえし。集団に入るのは苦手、母がダメだといった子とは遊べない、友だちは一人いればいい、という感じでした。この一人いればいい、というのは、たぶんみんなが思ってるのとは違うと思います。本当に、一人しか必要ではなかったんです。一人以上とは遊べない。三人でいると、たとえば二人が話してる中に私は入れない。また私が一人の子のみに話しかけて、もう一人の子を置いてけぼりにしてしまう。これ…高校の頃まで続きました。

 

 またある時気づいたんですが、私は一人しかいない友だちに、母と同じ口調(=威圧的)で話していました。友だちに言われて気づいたのですが。それ以降、自分なりに気をつけていましたが、たった一人しかいない友だちに離れられたことも数回。今、考えると私の方が「あの子と付き合うのやめなさい」と言われてもおかしくない子供だったかもしれません。

 

 子供の頃、母のことは好きだと思っていました。どれだけ暴言吐かれても、どんだけ理不尽にキレられても、暴力は振るわれたことはなかったし、母の言う通りにしていれば機嫌もよかったので、言われるのは私が悪いんだろうな、と。

 

 そんなこんなで私のコミュニケーション能力は変に(?)育ちます。学校、ほんと苦手でした。でも母親の方が怖かったんです。学校に行かない、という選択肢はありませんでした。当時はPTAよりも教師の方がえらかった時代です。家庭訪問や面談で母が担任から私のことで注意されないように、極力目立たないようにしていたところ、逆に何もしないことが目立って担任に怒られた、なんてこともありました。

 

 猫をかぶりはじめたのは高校生になってからです。女子校で一クラス54人いましたし、なぜか、入学後すぐに担任に目をつけられた、というか、いきなり注意されたんですね。これまで、母に怒られるようなことは極力避けてきたわけで、前述の怒られた話も他愛もないことです(ドッチボールでボールを取ると目立つから逃げ回っていて、目の前に来たボールも取らなかったら怒られた、とか、自分から手をあげて発言したこともないので、それで注意された、とか)。むしろ、当時の校則、on the眉もスカートの丈も守り、授業中に私語もせず大人しく座ってる私は、先生からしたらイイ子(都合のイイ子?)だったと思います。

 

 が、入学式後、初めての教室で、一人ずつ髪型のチェックをされた時のこと。「あなた…これ、どうするの? これじゃダメよ。怒られちゃうわ」と髪の毛をひっぱり、ため息をつかれ……確かにこの高校の校則ではおかっぱor二つ縛り。二つ縛りがゴムから15センチになったら三つ編み、というのが原則でしたが、入学式です。入学前にこの髪型にしてきてください、とかいう話もなく、これからちゃんと校則を守るように髪型を整えていかないとダメだよね、と思っていた矢先に、そう言われ……その後、何か目をつけられちゃったのですよ。その担任とはその後卒業まで付き合うのですが、2年になった時にやっと、疑いの眼差しから解放されたと思います。

 

 だから、なんです。猫をかぶりはじめたのは。この担任が私の何を見て「この子危険」と思ったのかはわからないけど、入学直後に、担任にそう思われたらめんどくさいじゃありませんか。確かに入学式で、「え、あり得ない」とこの学校に絶望しました。この学校自体、母親の言う通りに入ったようなものなので(話すと長くなるので割愛します)、まさかこんな変な学校だとは思わず……その後の教室でも絶望が反抗という形で目に出ちゃってたかもしれないけれど、でもやめるわけにはいかないので、とりあえず、つけられた目を逸らすしかない、と、とにかく猫かぶって真面目にやりました。最初は担任の目を逸らすための猫でした。

 

 まあ、だんだん大人へ近づいていき、多少ことなれど、そういうこともやらなきゃ生きていけない、ということも知る時期ですよね。そして、高校3年です。この頃、友だちにとあるオーディションを受けようと言われました。私にはまったくやる気はなかったのですが、意外にも母が大乗り気でした。あー、何か習いごとに芸事を選んだ理由がわかって気がする、なんてその時思ったんですが、そのオーディションには難なく友だち共々合格。ただ、その合格というのは、養成所に学費を払って通える権利を得られた、という意味で、友だちはそれをお父さんに聞かされあっけなく諦め、私自身も元々あんまり乗り気ではなかったので、そのまま行かないことに。

 

 相変わらず、人間関係は苦手でした。高校3年の時は、仲良くなった子が主導のグループで過ごしてましたが、将来に対する不安は漠然と出てきます。大学? いや、私、大学であんな人がたくさんいるところで、やっていける? じゃ、うちの高校の上にある短大? うん、もうこの学校関連とは手を切りたい。そもそも短大でも制服あり、とか、無理だー。就職? そもそも就職ってどうやってすんの? どうやって見つけてどうやってどうやってどうやってー。

 

 結局、私は自己啓発と思い、卒業後は演技の研修所に通うことにします。母は大喜びで「短大に行くと思えば変わらない」と、学費も出してくれたんですが(もちろん2年後の修了後、特に芝居の道に進まない、と知った時は激怒でしたが/苦笑)、いやー、人の中に入るのが苦手、日直でさえ人の前に立って注目をあびて喋るのがイヤだった私にはキツイ2年間でした。ただ、もちろん学費を出して貰ってるので辞めるわけにはいかず、踏ん張ってたら……

 

 あれ? 何か、うまく猫がかぶれるように、しかも何十にもかぶれるようになってない? まあ、大人になってきた、というのもありますが、人と雑談とか少し出来てるぞ、三人で喋っててもうまく喋れてるぞ。それなりに身についた2年間でした。

 

 ただ、どうしても集団の中でうまく働ける自信はありませんでした。母や祖母に「高校で簿記と珠算取ったんだったら事務ならずっと働ける」と言われたんですが、事務の電話応対。家の電話でも電話が鳴った途端緊張して出れないのに、そんなの出来ると思えない。時はバブル期。バイトはいくらでもありました。最小限の責任で自分の好きな時に働けるバイトは、私でも何とか出来ました。

 

 とその頃、通信講座で「ワープロが出来るようになれば在宅でも働ける。講座修了後お仕事も紹介できます」という見出しを見ました。ワープロ? 高校の時の選択で取ったから多少出来るぞ? これで家で仕事出来るの? と思い、本格的な文書の作り方とか覚えたいと、その講座を受講してみます。

 

 ここが、私の在宅ワークのはじまりなのだと思います。もう25年位前。まあ、パソコンで在宅ワークを始めるのは、10年後位になるのですが。

 

 

 前置きが長すぎて、主旨を見失ってしまいそうですが、私は今、在宅ワークとパートを半々でしています。稼げるか稼げないかでは稼げてはいません。でもなぜそこに行き着いたかといえば、私にはそんなにお金が必要ないからです。お金お金と思って働き過ぎると、心身共に辛くなってもうどうしょうもないくらい疲れ果ててしまう。辞めて貯金がゼロになるまでで次を見つけて、またガーッと働いて疲れて……の繰りかえし。なので、思い切って、パートは少なめにしました。あとは在宅ワーク。特に取り柄もないのでデータ入力が中心です。

 

 すごくラクになりました。パート先で疲れ果てても週3と思えば我慢できますし、在宅ワークで稼げない分を稼がせて貰ってるという意識で、感謝もできます。私にとって生きてくために必要なものは、猫、猫と私を生かすお金。そりゃ、親の遺産の家は築50年だから、お金はあった方が嬉しいけれど、無理はしたくない。今いる猫だけは何が何でも守りますが、あとは何とか生きていければいいの。心身共に病まず、ふわっとした気持ちでるんるん気分で。

 

 このブログでは、私がどんな在宅ワークをしてきたか、今、在宅ワークとパートでどんな生活なのかを書いていこうと思います。

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