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最低限の収入でもふわふわるんるんで暮らしたい、と思っている特に取り柄もない独身♀アラフィフ在宅ワーカーの日々徒然(SPOONという配信アプリでブログで書いたことについてお話することがあります。https://www.spooncast.net/jp/profile/314857438/board/dj?t=all)

今、思い返すと怖かった~ぶどう膜炎

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 今朝、Twitterに上がっていて、思い出したこと。

 

 緑内障ではないけど、私は、ぶどう膜炎、というものになったことがあります。それを思い出しました。

 改めて、ぶどう膜炎について調べると、ちょっと不安になったので、私の体験を書いておきたいと思います。

 

 

 ぶどう膜炎とは

www.skk-net.com

 こちらに書いてありますが、私自身は当時、よくわかってませんでした。

 前日までははっきり見えていた視力が、朝起きたらぼんやりしていて、眼科に行ったら『あら、あなた、これぶどう膜炎よ』と言われ『早く治療しなきゃ失明するわよ』との説明され、言われた通りの治療をしただけなので。

 まあ、30年以上前なんてこんなものですよね(断定するのには自分なりに根拠はあります)。

 

あれは高校3年の夏休みでした

 上記に書いた通り、朝起きた時に、目の前がぼんやりしほとんど見えなくなっていたのが始まりでした。その頃の私の正常な視力は2.0です。でも、寝起きだしなあ、しばらくすれば治るかも? と思ったんですが、全然治らない。夕方、パートから帰ってきた母親に「目が見えづらいんだけど」と言うと、「眼科行ってきな」と言われました。

 

 私は、小さい頃、学校のプールが始まるとよく結膜炎になる子供だったので、眼科はよく行っていたのですが、それは、引っ越す前の練馬でのことでした。千葉に来てからは一度も行ったことがなく、母親が知り合いに電話して、どこの眼科がいいか聞いていました。

 

 翌日。「一人で行けるでしょ」と、保険証とお金を渡され、一人で、その眼科に行くことに。

 まあね、確かに、高校3年ですし、私は小6~中3の夏休みまで、練馬まで一人で電車で習い事しに行ってたし、行けなくはないんですけど…

 でもさー、母よ。

 私、今、通常の半分も見えないんですけど……?

 

 それでも、行きましたよ。母はパート休めないって言うし、もうその頃、いろいろなものを諦めてもいたので、お願いもしませんでしたけど、しょうがないから手探りで。行ったことのない病院に。当時はスマホなんてないから、「○○駅近くの西友の裏の道だって」という母が聞いた情報を頭で繰り返しながら。

 ふだんはっきり見えてるので、あんまり見えない中で道を歩いたりバスの乗り降りするのも怖かったんですけどね。

 

あらぬ疑いをかけられた眼科医の第一声

 眼科医院に着くと、まあ、お年寄りがたくさん。評判の眼科、ということもあるのでしょうけれども、当時は高齢者の医療費がタダでしたから、何やら、待合室が、お年寄りたちの談合の場、というか笑。でも、受付が開く前で、私が受付の前で、よく見えない説明書き(初診の方は保険証を云々みたいな)をジーと見つめていたら「あら、あなた初めて?」とおばあさんに聞かれ「はい」と答えると、「初めてだったら、保険証を、ここに入れるのよ」と教えてもらい……、

 

 当時の病院って、診察券を診察券箱に入れた順番に受付だったんですよね。だから、たぶん、そのおばあさんは、誰かがズルしないか、見張ってたんじゃないかと思うのですが😅

 

 こちらとしては、単なる患者のおばあちゃんの言う通りにして、名前ずっと呼ばれなかったらどうしよう、とちょっと不安になりました。

 しかも、本当に、待合室はおじいちゃんおばあちゃんがたくさんで、椅子は満席。みんなお元気そうなのだけれど笑(昔の病院あるある、です)、高校生が座るわけにもいかないよね、と立ったまま、どのくらい待ったかなあ。

 名前が呼ばれた時には、ホッとするやら、疲れたやらで……

 

 で、私の説明を聞いた、評判の眼科医のおばあちゃん先生は開口一番

 

「夏休みでゲームばっかりやってたんじゃないの?」

 

 この時、私、イラっとしたの覚えてます。なぜなら、うちの母親は『ゲームなんて小さい子供がやるものだ』という人で、ゲームなんて小6の時に祖母に買って貰ったゲームウォッチしかないんですよ(つまりはこの高3時点で6年前の古いゲーム。もうとうの昔にクリアしたゲームを今更やるわけがない)。もうどれだけファミコンが欲しかったか! 欲しいのに『くだらない』と一刀両断されて悲しかったか…笑。高校はバイト禁止だったし。

 

「してません」

「そうなの? じゃあ、暗いところで本読んだりとかは?」

「(勉強も読書も)何もしてません」

「そう……」

 

 と、視力測ったり、眼圧測ったり、視野の検査したり、一通りの検査をして、もう一度、先生のところで、光を当てられて目の中を覗き込まれたところ……

 

「あらぁ、これぶどう膜炎だわ」

 

 

 ぶどう膜炎?

 

 

「網膜が濁ってるねー」

 

 

 この頃の病院って、今みたいに親切に病気のこと教えてくれなかった、と記憶してます。だから、ぶどう膜炎の説明はされませんでした。

 

 ただ

 

『これはまずい。早く治療しないと失明するわ』

『最近、疲れるようなことしてた?』

『しばらく運動はだめよ。安静にして』

『あと、しばらく通ってね』

 

 と、言われて、自分ではただごとではないと、思いました。

 

 あ、その時の視力は、どっちがどっちだったか覚えてませんけど、0.3と0.6だったかな。一夜にして、2.0がそれだけ落ちてました。

 

 で、これも30年以上前は普通だったのかなー? 

 眼科の先生にも『今日親御さんと一緒?』とかそういうことは一切聞かれませんでしたし、検査で瞳孔開いてるので、眩しさを感じたりするし、そもそも視力が落ちてるので帰る時も気をつけなきゃいけないのですが、そういうことに対するフォローもありませんでした。

 

 ゆえに、私のとった行動。絶対に真似しないでください。

 

 帰る時に、西友でサングラスを買いました。

 

 だって、眩しかったんだもん。

 

 今思うと、自殺行為ですよね。瞳孔開いてるところに、当時UVカットがされていたかどうかもわからない、安いサングラスをかける。UVカットされてなければ開いた瞳孔に紫外線入っちゃいますよね。まあ、サングラスはさすがに真っ黒を買う勇気はなかったので、薄茶のにしたので、そこだけはまだセーフだったかもしれませんが。

 

ぶどう膜炎にかかってしまった原因は

 薬は、飲み薬と目薬と貰ったんですが、なにぶん、『ぶどう膜炎』が何なのかわからないので、帰ってから、親に『ぶどう膜炎だって』と言っても『何それ』ってなり、『視力0.3と0.6だったよ』『しばらく通わなきゃいけないんだって』『じゃないと失明するかもだって』と、言われたことは全部言ったんですが、まあ、親の反応は薄かったですね😅

 

 ということで、高校最後の夏休みは眼科通いになってしまいました。

 

 で、原因はですね。心当たり、あるんです。

 

 高3になって、仲良かった子が「少年隊の植草が痩せたスポーツジムがあるんだけど、学校帰りに行かない?」と言い出したんですね。

 もうねー、今なら断れるんだけど、高校生ですよ。女子校です。残り1年、人間関係は平和に行きたいじゃないですか。

 しかも、そこのジム、ジャズダンスなんかも習える、ということで、踊るのが好きだった私は心が動いてしまったわけなんです。

 

 しかも、スポーツジムって月額制で、通わなきゃ損じゃないですか。

 

 つまりは、ほぼ毎日、通うことになっちゃったんですよ。その仲良かった子は、高校の近くに住んでいたので、その子の家で私服に着替えて、新宿御苑のジムに行き、帰りは2時間かけて、千葉の家に帰る。家に着くのは毎日22時過ぎ。朝は7時に家を出て学校へ。

 

 クタクタでしたよね。暑くなってくると特に。

 

 たぶん、これが原因だったんじゃないかなーって。

 先生にも『最近、疲れるようなことしてた?』って聞かれましたからね。

 

3ヶ月目で治療放置した理由

 幸い、貰った薬が効いたのか、夏休み中に視力が回復しました。

 先生には『月に1度は見せに来てね』と言われてたんですが、そのためには学校を早退しなきゃいけなくて(当然ながら当時土曜日は学校だったので病院には行けませんでしたし、平日は学校からどんなに頑張って帰ってきても、午後の診療時間には間に合いませんでした)、10月に担任に早退の許可を取りに行った時に

「まだ治らないの?」

 と、すごい渋い顔でハンコ押された時に、あー、もうこの担任と話したくない、と思っちゃったんですよねー笑。

 

 そもそもこの担任との相性が最悪、だったんですよね。よく喧嘩を売られました。私は買いませんでしたけど。

 

 結構、担任に対してやさぐれた気持ちを持っていた、こともあって、「失明したらお前のせいにしてやる」ぐらいの気持ちで、あーもう、通院やーめーた、って。うちの親も何も言いませんでしたし。思えば、うちの親も、特に病院の先生から直接説明されたわけじゃないし、一度一緒に来るようにみたいなことも言われたわけではないので、すごく軽く考えてたと思います、ぶどう膜炎を。

 

 

 いやいや、これも今、何もないので、言えたことなんですけど、絶対に真似しないでください。

 

 ぶどう膜炎の治療放置するのは、危険です。ここにも書いてあります。

 

通院を欠かさないことの大切さ

 症状が落ち着いてくると、つい安心して薬の点眼・服用がいい加減になったり、通院を怠りがちになります。しかし、ぶどう膜炎は次のような理由から、定期的に受診することが非常に大切な病気です。

炎症の起きやすさの把握

 一見症状が治まっているようにみえても、からだの中では炎症を起こしやすくなっていたり、免疫システムに異常が起こっていることがあります。血液検査などでそれが確かめられれば、発作・再発の予防的な治療ができます。

合併症の早期発見

 視力や視野を奪う緑内障や網膜剥離などは、かなり進行するまで自覚症状がないことがあります。その発見・治療のために通院が欠かせません。

薬の調節

 ぶどう膜炎の治療薬のなかには、注意が必要な副作用をもつ薬もあります。副作用を抑えて同時に高い治療効果を得るために、検査結果をみながら薬の量を少しずつ調整する必要があります。

全身状態の把握

 ぶどう膜炎では眼以外にもさまざまな症状が現れ、早急な治療が必要な場合もあります。専門医は患者さんの眼だけでなく、からだの異常にも気を配りながら診察しています。

 

現在

 さて、今日、突然思い出した、ぶどう膜炎ですけれども、最初に紹介したページを読むと、私ってぶどう膜炎だったの? という感じもします。

 あんまり当てはまってない気がするからです。

 なにせ、30年以上前のことです。

 

 今から20年くらい前に、ちょっと気になって、ぶどう膜炎のことを調べたことがあるんですが、その時にはネットで「症状が治まったらそのまま再発しない人もいる」と書かれてあって、じゃあ、私はそっちだったのかも? と思っていたのですが……

 

 この20年の間に、1日何時間もパソコンのモニター画面を凝視する入力の仕事を始めたりして、多少、視力は落ちました。まあ、全盛期に2.0だったことを考えると、今、1.2と0.9は悪い気もしますが、老眼が始まったと考えても、日常生活にほぼ支障はないので、私の目は今のところ、大丈夫なんだと思います。

 

 高校生の時にお世話になった眼科の先生には、その8年後ぐらいに『目をかきすぎて目が腫れてしまって』再度お世話になったのですが、ぶどう膜炎当時のカルテもなくて、丸っきりの初診者として見てもらい、私も過去のことは言いませんでした。でも、その時も、前と同じくいろんな検査をして、最後に、先生によって目に光を当てて見てもらった時「うん、網膜なんかは綺麗ね」って言われたので、私的には、その時、完治してるな、って勝手に思ったんですけどね😅

 

 まあ、老眼も始まってきたから、ここいらで一度眼科健診を受けたいな、とは思ってるんですが、その眼科以外は行ったことがなく、またもうその先生は引退されたようで、新しい眼科を探すのは、大変。

 

 

はっきり言えるのは

 突然、視力が落ちるのは、こわいです。何がこわいって、病院に行くまでがこわいです。いや、まあ視力が落ちたこと自体も心当たりがなければ、こわいですけど、でもこれまでみたいに見えない状態で外を歩くのが一番こわいです。

 特に一人暮らしで、すぐに頼れる人がいない場合は……気をつけた方がいいと思います。

 疲れ目とか、かすみ目、とかありますけど、市販の目薬をさすのはいいとしても、数十分ぐらいで何も変わらなければ、すぐに眼科に行きましょう。

 

 ということで、私も新たに眼科を探そうと思います。

 

 あ、ちなみに、一人で眼科に行く時は、公共交通機関で、ですよー。まさか、見えにくい状態で車に乗る人はいないと思いますが、自転車も辞めた方がいいです。検査で瞳孔開いたら、ものすごく眩しいので危険です。

 

 

 

 

 

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