がんばりすぎず、ふわふわ、るんるん、で生きていく

最低限の収入でもふわふわるんるんで暮らしたい、と思っている特に取り柄もない独身♀アラフィフ在宅ワーカーの日々徒然

広島原爆の日

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 今年は国内でオリンピックやってるので、あまり実感がないので、母の話を。

 

 母は岡山の人でしたが、当時「岡山にいたら危ない」と伯父に言われて、母(当時小1)と上二人の姉(小3と小5)と母親(私の祖母)で広島に行くことになりました。

 

 8月6日の朝、母は具合が悪くて布団で寝ていたそうなのですが、突然家がグラグラと揺れ初めて、そのうち窓ガラスが割れたので、布団をかぶっておさまるのを待ってたようです。

 姉二人は学校に行ってて少しすると家に帰ってきたそうですが、その時に表に出てみると、広島市内の方の空に今まで見たこともない雲が。

 隣りのおばさんが「息子が今日広島市内に行ってるのよ」とオロオロしていたり(無事だったかどうかは母は憶えてませんでした)大騒ぎ。

 そのうち新型の爆弾が落とされた、という情報が入ってきたそうです。

 

 それで「広島にいたら危ない、岡山に帰ろう」と、急いで帰る支度をして、電車で岡山に帰ったそうです。

 母曰く

 

「原爆落ちて一週間くらいだったけど、電車動いてたんだよねぇ。でも広島の駅は屋根がなくて、その日雨が降ってて、ビショビショになって大変だったよ」

 

 私はその話を聞いて(私が小4位の時だったかな)、子供ってのはそんなひどい状況にいても案外呑気なんだな、と思っていたのですが……

 

 母は戦争の話を自分からするってことが嫌いでした。それでも戦時中広島にいた、と言うと、みんなにその話を書いてくれない? と言われ、時折体験記とか書いてましたけど……

 

 私が小6の時、夏休みに母の岡山の実家に一週間位一人で預けられたことがあったんですが、伯母が「広島の原爆資料館行ってみようか?」と言いまして、そこにいた従姉(当時高1)は「えー、そんなん学校で何回も行ってるわー」と却下しようとしたのですが、伯母が強行突破で、私と従姉を連れて広島へ。

 

 原爆資料館に入ってみて、当時は確か一番最初に原爆投下後を再現した血みどろのマネキンがあって「こわっ」ってなったのですがでもそれはお化け屋敷のような感じ。すでに見ていた従姉が怖がらせようとするので小さい声ですがキャーキャー言ってたら、伯母がそこでボソっと「私らはこれを実際に見たんよ」と言ったのでそこでちょっと気持ちが変わったことを鮮明に覚えています。あの再現されたマネキンとかって『実際はこんなもんじゃなかった』と被爆者に言われて数年前に撤去されたそうですね。母家族は原爆投下後市内に入ったのはもう岡山に帰る時だったらしいので、伯母が実際に見たとなると、裏を返せば一週間後位でもまだあの風景だった、ってことになる。だとしたらそうとうひどい状況でしたね。

 

 

 私が子供の頃、学校の先生は戦争体験者が多かった。さすがに元兵隊とか戦地に趣いてるような人はいませんでしたが、夏になるとよく戦争の話をしてくれました。

 母の原爆の話を知ったのは、小4の時の担任から『ご両親、もしくはおじいさん、おばあさんに戦争の話を聞いてきてください』という宿題が出たからです。

 その先生はベトナム戦争が終わってから10年も経ってなかったということもありますけど、国語の時間によく『ベトナムのダーちゃん』を読んでくれました。

 

 それからしばらく図書室で戦争関連の本を借りては読むようになるので、伯母に広島に連れて行かれた時も、資料館に踏み入れるまでは旅行気分だったんですよ。資料館の外に鳩がたっくさんいて、もっのすごい太った鳩を見て従姉とはしゃいでしまたから😅

 

 今は撤去されてしまったけれど、あの血みどろのマネキンで、私はリアルな怖さを知ることが出来ました。

 

 

 

 母は時折「お母さんたち被爆者にならないのかなあ」と言ってました。最近、黒い雨訴訟で進展が出ていますが、うちの母は黒い雨は見てないそうです。ただ家は窓ガラスが割れるほど揺れ、投下一週間で広島市内に歩いて入ったので……

 でも被爆者として認定されるためには証人が2人か何か必要で、何せ疎開した先での出来事で当時のご近所さんとの付き合いもなく、無理かな、と諦めていたようでした。

 

 母は全くお酒が飲めなくて飲まないのに、71歳の時に肝がんで亡くなりました。まあ私は因果関係はないと思っていますが、母としてはどうだったんでしょうね。

 よく言ってたんですよ「お母さん原爆の時広島にいたから、ガンになるかもしれない」と。

 

 私としては、もし被爆者手帳を持っていたら、母が71歳で亡くなることはなかったかもしれない。

 それはちょっと思います。

 市の健康診断で、肝臓系の数値がちょっとおかしい、と、たぶん5~6年言われ続けていたんですね。でも「まあでもちょっとだから、様子みましょうか」と医者には生活習慣だけを変えることを言われ続けて、はっきりと数値に出た時には手遅れでした。

 もし被爆者手帳を持っていたら……とは思います。母の意識的にも。

 

 

 ちなみに原爆資料館は大人になってから家族で行ったツアー旅行の立ち寄りでもう一度入りました。

 ツアーで行くと観光場所はオプションでない限り否応なしに入らなければいけないので、母も入りましたけど、ほぼ素通りしてましたね。私も子供の時見てるからサラっと。可哀想だったのは初めて行く父で……でも母には逆らえないので、たぶんろくに見ることも出来ずに資料館を後にしたと思います。見学時間は1時間位だったと思うんですが30分以上お茶飲んでた気がします😅

 

 いつかもう一度行きたいですね。

 

 戦争を経験した方たちがどんどん亡くなり、戦争体験者から話を聞けた世代もどんどん高齢になり……最近のコロナ騒動に対する政府の対応とか見ていても、不安が募ります。

 

 一番危惧してるのは、新型コロナや、コロナワクチンに関する情報統制とも取れるような偏った報道。戦時中ってこれをもっとひどくした感じだっただけなのでは? と思ってしまう私。

 

 そして最近ニュースサイトのコメント欄等見てると、若い人たちの高齢者に対する思いが冷たすぎて、心配になります。

 

 戦争が、じゃないんですよ。でも戦争じゃなくても、人を傷つける手段はたくさんあって、それって戦争のように人をこの手で殺すよりも恐ろしいことなんじゃないだろうか…

 

 って思うのです。

 

 まあ、でもそれが人間なのかな。平和になるのが一番だけど、人間がいる以上、平和って何? って思わなくもないので。

 

 結局、自分に出来ることをやるしかない、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 黙祷…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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