がんばりすぎず、ふわふわ、るんるん、で生きていく

最低限の収入でもふわふわるんるんで暮らしたい、と思っている特に取り柄もない独身♀アラフィフ在宅ワーカーの日々徒然(SPOONという配信アプリでブログで書いたことについてお話することがあります。https://www.spooncast.net/jp/profile/314857438/board/dj?t=all)

1960年代の上高地と2011年の上高地

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 親のアルバムを開いたら見つけました。

 日本のスイスと言われてる上高地の写真です。

 うちの親は山男、山女で北アルプスが大好きだった模様。

 私が産まれてからはなかなか行けず、私が小1の時に行った西穂高登山が最後だったかも(北アルプスでは)。あと私が大人になってから上高地~岳沢までは行ったな。昔山男山女だった両親もこの時はかなり大変そうでした。頭は昔のまま、でも体力がついていかない。昔やってたことを年取ってからやる時には気をつけないといけませんね😅

 上高地まではよく行ったんですけどね。

1960年代(おそらく)

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 この中で私が目を引いたのはバスですかね。レトロ~😆

 当時は東京から夜行列車乗り継いで島々駅(現在新島々駅)まで来てそこからバスで上高地に入ったそうなのですが、たぶんそのバスがこのバス?

 父親が車を購入してからは車で行くようになったらしいですが、その頃の釜トンネルを抜けるのにはそれはもう大変だったそうで(石はゴロゴロしててぬかるんでグチャグチャだし急坂だし水はバシャバシャ落ちてくるし、みたいな。うちの父親は「ここで動けなくなったらどうしよう」と恐怖を感じながら車を走らせたそうです。で、そのために帰ってきてから車買い換えたらしいですよ、父曰く馬力あるやつに笑)……よくその話をしていました。

 今はとっても綺麗な釜トンネルで面影も何もないですけどね。まあ場所自体別らしいですけどね。(旧トンネルは残ってるらしいですが言わずもがな立入禁止)

pcitorn-nitikaku.sakura.ne.jp

 私の中学の修学旅行は上高地と飛騨高山だったのですが、その頃はまだゴツゴツとした岩壁の釜トンネルの印象で…と言ってもバスで行ってるのでうちの父親が言ってた釜トンネルよりも進化してたのでしょうけれど、で若いガイドさん(16歳)が私らを怖がらせるべく「あ、そこのくぼみに人影が! 見えたような気がしますが」とか言って張り切っておられました笑。

 1990年代になるとところどころ岩壁は見られたけど、かなり綺麗になりましたよね。でもその頃はまだ信号で片側通行だったかな?

 

 一番下の写真は河童橋の袂ですね。今の五千尺ホテルの前辺りでしょうかね?

 


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 これも河童橋らしいですが、今も木橋だし雰囲気は変わらないかな?
 

 

大正池

 大正池は立木がまだたくさんありますねー。

 てか、山好きな人たちのに、山の写真が全然ないのですが、曇ってたっぽいってこともあるかもしれないけど、この頃カメラ持ってなくて一緒に行った誰かに撮ってもらったのかもしれない。

 これはどこの橋でしょう? 田代橋っぽい? 後ろに山見えないから明神橋ではないですよね。

 全然書かれてないからわからん笑。

 

 

2011年

 ハードディスク見て驚いた。私、もう10年以上上高地行ってないんだなあ。

 これは母親が亡くなった後、弔い旅行で行った時のものですが…

 河童橋付近はいつも人が多いので橋の上とか袂では写真も撮らないので、比べるって感じではないですけども。

 

大正池と穂高

大正池と焼岳

大正池と焼岳と鴨さん

 うちの父親が写ってる写真はどこら辺で写したのか不明ですが、池の感じも違いますね。今は水が少ないのかな? いつかはなくなるって話もありますしね。

 

 

暑いのでおまけ写真

 

 梓川沿いの木々ですね。木々が白いのは凍ってるからです。この時は10月の下旬に行ったのですが山には雪が積もらずだったんです。たぶんうちらが帰る日の夜くらいから降る感じで宿のご主人に「例年は積もる時期ですが今年は山に雪が積もらなくて残念でしたね」とほんとに残念そうに言われたのが印象的でした。が、チェックアウトして外に出たら山の木々も川沿いの木々も真っ白に凍ってて一見雪が積もったように見えました。もっと早起きしてみたらダイヤモンドダストとか見えたかもしれません。



余談

 最初に書いたように私の中学の修学旅行は上高地と飛騨高山でした。

 で、修学旅行の準備に何をしたと思います?

 

 上高地の河童橋を渡る練習

 

 をさせられたんですよ。先生ら曰く

 

「河童橋は吊り橋だから全員では渡れない。グループごとに渡ることになる。他の人に迷惑をかけないように練習をする」

 

 で、校庭に集められて「はい!」「はい、次のグループ!」とか掛け声かけられて、【河童橋を渡る練習】をやらされたんですよ😅

 

 帰ってうちの親にその話したら二人とも「バッカじゃないの笑」って言ってましたが……

 

 いや、1980年代でしたけど見た感じは今と変わらない(てか1960年代の写真見ても見た目…橋の幅とかは大体そのままですよね)立派な橋でしたよ、河童橋。みんな河童橋を前にして一瞬考えたと思います。

「あの練習した橋の渡り方をやるのはこの橋???」

 って。

 結局、みんな先生をチラチラ見たような気がするけど、言い出した先生は素知らぬ顔して橋を渡っていくので、普通にみんなゾロゾロと河童橋を渡りました。

 

 うちの父親は「行ったことないんじゃないの」って言ってたけど、先生下見しないの? 何もわからないで上高地行こうと思ったの?

 

 まあでもあの頃って先生たちは気合いが入っていたのかもしれません。とにかく「迷惑かけるな」ってことで。何せその数年前までは「積み木くずし」「腐ったみかんの方程式」みたいなお兄さんお姉さんがワラワラいた世代なので。

 上高地・飛騨高山の修学旅行はうちの中学では私たちが初めてだったのですが、前年までは会津若松だったそうで、その頃よく聞いたのは「どっかの中学生がやらかして京都奈良出禁になった」とか「会津若松も出禁になった」なんですけど、でも大人になってうちの市出身の世代の違う子に聞いてみると京都奈良に行った人も会津若松に行った人もいるので、よくわかりません。

 

 話が逸れましたが、そうそう【新幹線に乗る】練習もしましたね。班ごとに並んで新幹線が入ってきたら1列で素早く乗り込む練習。まあ新幹線に乗ったことのない子もいたしその練習はまあ理解出来たんですけどね。

 

 そんな思い出の上高地です。修学旅行としての上高地の記憶はほとんどございやせん笑。全然楽しくなかったんだね修学旅行が笑。今なら景色楽しむんだけど、中学生は人間関係が一番ですから😅

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